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比留間榮子 時間はくすり サンマーク出版

インタビュー

ニシト:97歳までこうして元気に生きていらっしゃる。今日はその秘訣をお伺いしたいと思っております。

榮子先生:私も97歳って言われて、改めてそんなになったのかと思います。

ニシト:そういう感じですか。自分の年齢ってわかんないですよね。

榮子先生:今年いくつになったいくつになったって、それ誕生日が来ると思い出すかもしれないけど、それはそれで終わりですね。

ニシト:自分は今47なんですけど、32ぐらいの感覚なんです。榮子先生はご自身で何歳ぐらいの感覚ですか?

榮子先生:自分は自分の歳だと思ってるので。皆さんがお世辞で言ってくださるから、あ、そうかなって。

ニシト:そうですか(笑)。榮子先生は、普段から疲れたって言われないそうですね。

榮子先生:そうです。疲れるほど働いてない。

ニシト:そんな事ないでしょう(笑)。確かに今日もそんな発言は一度も聞いていません。むしろ、お孫さんが気遣って「腰は?」なんて言ってくださっても「大丈夫。」と言われる。「喉乾かれたんじゃないですか?」「大丈夫。」って、むしろ大丈夫って言われることの方が多い。

この本の中に書かれていらっしゃる「疲れたって言うから本当に疲れちゃう。だから疲れたって言わないようにしてる」は、もうその通り。しかもすごいなと思ったのが、

『最近は年齢を重ねた人よりも、若い人の方が疲れたっていう言葉を使う傾向があるように 感じる。今自分が何に疲れてるのかに気を配ってあげたらどうでしょうか。』

心が疲れてるのか、頭が疲れてるのか、体が疲れてるのか。自分が疲れてる時に、心・頭・体のどれが疲れてるかという視点がなかった。確かにそれぞれ疲れ方が違うなって思いました。じゃあどういうことが自分を疲れさせるのか?疲れない榮子先生の生き方がこの本の中に、いっぱい書いてあると思いました。たとえば、

『本当は自分が自分にしてあげたいことを人に助言したり手伝ったりすることで棚上げしていると、心と体が徐々に疲れてきます。』


自分がやりたいのに、あるいは自分がやったほうがいいとわかってるのに、人に「やった方がいいよ」なんて言っていると心が疲れてくる。これってどういうことなんでしょうか。

榮子先生:人に課せるからじゃないかな。人に抱かせちゃう。自分が疲れたっていうことは言わないで、人に疲れたって言わせるっていうことじゃないかな。

ニシト:なんか私が思ったのは、自分に本当はやってあげたいことを自分にやると罪悪感があったり自分を甘やかすような感じがしちゃって、逆にやってあげてばっかりになることってあるような気がするんですよね、そういうことでしょうか?

榮子先生:忘れちゃった。

ニシト:忘れちゃいますよね、そうですよね。(笑)

わかります。本って、書いてしばらく経つと自分が何書いたか忘れちゃうんですよね。

『心配とは心を配ること。

相手の代わりに何かをやってあげるっていうこととか。相手に変わることを期待することじゃありません。』

これってすごいシンプルだけど、ふって腑に落ちたというか。

心配してあげるのは、すごくいいことだみたいな感覚が基本的にあると思うんです。でも、心配とは心を配ることだから、代わりに何かをやってあげることじゃないし、「ああした方がいいわよ、こうした方がいいわよ」って相手に変わった方がいいと期待することでもない。

じゃあ心配ってなんなのかっていうと、榮子先生は声を掛けることだって書いてくださってますね。

榮子先生:そんなに心に残らないし、それが一番だと思うの。

そうすると相手の方も軽く考えてくれるから大ごとに考えないで、「そうかそんなに難しく考えない方がいいな」っていう風に変わっていくんじゃないかなと思ってるんだけど、違うかな。

ニシト:そう思います。私、実はこちらの薬局に処方箋を持って伺ったことがあるんです。 偶然近くに住んでいた時期がありまして、そのとき風邪で病院に処方箋をもらってこちらに伺った時に泣きそうになったんです。

あれはたぶん榮子先生の息子さんのお嫁さん、この本の中にも出てくる公子さんだと思うんですけど、その公子さんが「風邪引いたの?熱どれくらいあるの?ちゃんと食べてる?」「大丈夫、食べてるんなら大丈夫よ。元気出してね」そんな感じで声を掛けてくださったんです。

一人暮らしで体が弱っていると、落ち込むじゃないですか。そんな時、初めて会った方なのに、お母さんみたいにそうやって声をかけてくれて、すごいあったかい気持ちになった。それで、なんか大丈夫だなって思えました。

榮子先生:そうだね。そういう言葉かけられるとね。

ニシト:そうなんですよ。思い出すだけで涙が出てきます。

薬局に行ってそんなあったかい気持ちになったのは、私にとっては初めてのことで、声をかけてもらえることがこんなに人の心を温めるんだって、正にここで体験した。

その話を榮子先生が本で伝えてくださって、他のスタッフさんに受け継がれてて、それを実際体験させてもらった私がまたここに違う形でこうして伺ってお話を聞けてるっていうのは、榮子先生の想いがつながって巡ってる感じがして、ありがたいっていうか嬉しいなって思います。

榮子先生:そういうことは忘れてはいけないな。みんな喜んでくださるんだものね。ほんと嬉しいですよ、そういうこと言われて。一人でいらしたんじゃなおのことだものね。お薬飲んだだけで本当に早く良くなればいいけど、薬は飲んだってすぐは良くならないしね。

ニシト:しかも薬の効き方が変わると思います、あんな風に声かけてもらえると。

榮子先生:効かない薬も効くかな。

ニシト:そうだと思いますね、本当に。

だからきっとね、榮子先生が処方されたり薬を渡された患者さんは、本当に元気になっていかれると思う。

それが人の想いだし、声を掛けるって一瞬でできてお金がいることでもない。誰にでもできること。だけど心にゆとりがないとできないと思うんですよね。

榮子先生はその心のゆとりをどうやって作ってらっしゃるんですか。

榮子先生:別に作るっていうことじゃないもんね。

ニシト:基本的に普段お会いする方は、病気だったりケガされてたり元気がない方じゃないですか。元気がない人といると、元気がなくなっていくことも多いと思うんです。そんな中で榮子先生が元気でいるために、特別なことをやっている感覚はないんですか。

榮子先生:特別にそんな変わったことやってたら、そういうのは長続きしないんじゃないかしらね。何事も普通に皆さんがやってるのと同じようなことをやってて、それがお客さんや何かにもいつも通じてる時もあるんだわね、きっとね。

ニシト:お仕事をされていて、一番嬉しいのはどんな瞬間ですか。

榮子先生:やっぱり患者さんが、むずかしい薬や何か飲んで元気になって喜ぶ、その言葉が一番嬉しいですよね。

なかなか大変な病気もあるんですよ、治るかどうかなと思うようなのね、時間は掛かるけど。

「おかげさまでこうやってね、会いに来られるようになったのよ」って、なかなかここまでね、治ったって言ってくる患者さんは少ない。

ニシト:私も公子さんにあんなに元気もらったのに、治ってからご挨拶には来てません。あとでちゃんと伝えます。

薬局さんでお薬貰っておかげさまで元気になりましたって、一言こっちもお声掛けできたら頂いたものが循環していきますね。

榮子先生:増えてきます、ちょこっとしたら。ありがとうっていう言葉をね。

「お顔が見えたからちょっと寄らせてね」って「いつぞやはありがとうございます」って。でも、こちらが忘れちゃう、嬉しいですよ。

ニシト:自分がそうやってお声掛けしてれば、向こうもお声掛けをしたくなるんだろうなって思いました。

これもですね、最近の私たちの疲れる生き方かなと思ったのは95ページですね。

『最近お客様と話していて思うのが、起きてもいない未来を心配している人が多いということです。』

「起こってもない未来を心配してる人が多いんじゃないか、でも心配をするんだったら心配を解消する行動とセットにしたらいいですよ」って書いてくださってるんですよね。

そうだなと思いました。なんかついつい心配って頭をよぎるじゃないですか。

でも心配を解消する行動をセットにしちゃったら、その心配だって少し小さくなる!

榮子先生:そうです、自分がそう思うとやっぱりその通りに動いていくんだと思います。

やっぱり悪く考えると悪い方に行っちゃうし、こうすればきっとよくなるんじゃないかなっていうと、やっぱりそれはその通りに動いてくれる。自分もその通りに、反対しないでやっていかないといけないんじゃないかなと思うわね。細かいとこ見てくださる。

ニシト:もう何回も読みました。だって今の言葉もそうなんですけどね、

『自分が思ってる通りになっていくのよ。』

これって、ものすごく重要なことだと思うんです。自分が普段何を思っているのかに気が付いてないと、不安ばかりの人は不安な事が起こるし、楽しい事ばかり考えてる人は楽しいことになっていく。そういうのを引き寄せの法則って言われたりしましたけど、榮子先生にとっては、当たり前なんですね。

この本『時間は薬」という本は、榮子先生にとっては当たり前のことが、当たり前なのでサラッと書いてあるんですが、「これめちゃくちゃ重要なことじゃない?!」っていうことがいっぱい書かれていて、宝探しをするように読ませてもらってるんです、何回も。

宝物って、私なんかやっちゃいがちなんですけど、「これいいことだよ」って声を大きくしたり、「ここ大切ですよ」って学校の先生が「ここテストでるよ」と伝える感じで強調して言いたくなるんですけど、榮子先生って大切なこともすごく当たり前のこととして実際にそれを生きていらっしゃるからサラッて書かれるんですよ。

だから読みやすい!ただ、宝物がうわぁって道にいっぱい置いてあるのに気付かないでスーって通れちゃう。なぜなら榮子先生にとって当たり前だから。

宝探しをするような気持ちで読みたいし、それができたら気付きがいっぱいあるんじゃないかなって思います。

榮子先生:ありがとうございます。私はそういう風に仰ってくださると非常に嬉しいんですけど本当に分かりやすく書いてあるから、なんか当たり前のことが多いから。

ニシト:当たり前が、当たり前じゃないんですよね。

榮子先生:そういう風に感じる時もあったんです。でもそういう風に言ってくださると本当嬉しいです。ありがとうございます。

ニシト:こちらこそありがとうございます。

それから「自分を許すことが大切だ」っていうことも書いてくださっています。今日お伺いしたかったのは、自分を許すことと自分を甘やかすことって全然違うけどちょっと似ていて分かりにくいと思うんです。

自分に「それでいいよ」って言っちゃうと、自分を甘やかしてるみたいで自分がダメになるっていう考えもあると思うんですが、榮子先生にとって自分を許すことと甘やかすことには、どんな違いがありますか。

榮子先生:そのことにもよりけりじゃないかな、難しいですよね。「なんでも許しちゃえ」でいいわけでもないし、厳しくするのもいいわけではない。自分のことだからね。そこを上手く判断していかないと。許せることは許していいんじゃないかな。

どうしてもこれは他の人なら許せないけど、私だったら許しちゃおうかなっていう場合もあるんじゃないかな。ちょっとその判断難しいですよね。

ニシト:確かに、だから明確な線引きがないんですよね。

榮子先生と同じ薬剤師の息子さんが25年前に倒れられたとき、「自分が働かせすぎたんじゃないか」「心身の負担が大きいことに気付いてあげられなかった」っていう想いに押しつぶされそうになったと書かれていますね。

一緒にお仕事をされていた息子さんが倒れられると、お母様として、一緒に仕事をしてきた同志として、自分を責める気持ちも出てきたんじゃないかと思うんですね。

榮子先生:泣きました、本当に可哀想なことをしたって。またあの子はね、頭が痛いとか、なんか体が変だなとか一言も言ったことないから私も気が付かなかった。あとで倒れてからちょっと水道かなんかのところにセデスの飲んだ紙切れがあった。セデスって鎮痛剤、頭痛かったのかな。それに後で気が付いて、ああこんな薬飲んでたのかなと思って、可哀想なことしたと思いました。

ほんとに具合が悪いとか血圧高いなんての感じなかった。

ニシト:そうなんですか。その時はご自分をどうやって許されたんですか。

榮子先生:あの人は病院入って、あちこち病院行ったり来たり、信州の方の病院も行きまし たしね。でもICU、救急車で行った時は日大へ行ったんですけど、あそこにね1ヶ月入院し てたの。全然意識が出なくて。

ニシト:突然のことだったんですね。きっと榮子先生にとって一番自分を許すことが難しか ったのは、息子さんが倒れられたことなんじゃないか、やっぱり家族に何かあった時ってみんな自分を責めちゃうと思うんですね。

うちも先日母がお風呂で溺死したんですよ。ヒートショックだと思うんですけれども、一緒にいた父がもう少し早く声を掛けてあげられていたらっ、ずっと自分を責めてるんですね。

だけど、お風呂に入った人に「大丈夫か」なんてしょっちゅう声を掛けることの方がないです し、父はちゃんとできることをやったっていくら周りが言っても、やっぱりお母さんに何もしてあげられなかったって自分を責めるんです。

だから榮子先生はどうやってご自身を許されたのかなっていうのをね、お伺いできたらなと思ったんですね。

完全に今許していらっしゃいますか、自分のこと。

榮子先生:許すも許さないもないと思います。自分が悪いのかね、やっぱりね。

ニシト:そんなことないと思います、私は。榮子先生はこの本の中で、人を変えることができないって書いてらっしゃるじゃないですか。

改めて私たちができることは、自分を精一杯生きることだなって思ったんですね。だから今榮子先生おっしゃってくださったみたいに、本当は許すも許さないもないんじゃないかなって。みんな自分を精一杯生きてる。榮子先生も精一杯生きてらっしゃって息子さんも精一杯生きてらっしゃって、うちの父も母もみんなみんな一人一人精一杯生きていて。

だから許すとか許さないじゃなくて、私たち一人ひとりができることは、本当に自分をただ ただ榮子先生みたいに精一杯毎日生きることなのかなって思います。

榮子先生:その通りその通り、本当に自分も精一杯生きてる。

みんなに迷惑かけてまでいつまで生きられるのかな、っていうそういうあれもあります。もう ここまで来たらね、明日にでもポツンといってもいいと思ってるぐらい。そうかというとまた元気で働けたら働いてって、いろいろ変わることですし。

元気になると「あの人がね、どうなのって今日声掛けてってくれたよ」って言われると、「あーそうか、あの方もいたしな」なんて色々思い出したりして。元気だったらやっぱり働きたいですよね。働いてちゃんとね、患者さんにお応えできるかどうか。

ニシト:自分が精一杯できることをやったら、後はもう天にお任せするしかないのかなって、、、

榮子先生:だんだん自分も「ちょっとおかしいかな」っていうのも、わかるかわかんないかあれだけど。周りの人もね、分かるしね。いま認知症やなんかなんだかんだ、ずっと騒がれてますからね。知らない間に(自分が)そんなんなってるかもしれない。なければ上手にやってもらって、もうちょっと働ければと思ってはいます。

書き起こしサポート:林健太郎さん

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